卒業 それは 君が見た光
そいつが僕のもとにやってきたのは、たしか今年の春ぐらいだったと思う。
たまに足立区の実家から届く、僕宛のDMやら手紙やら、親が入れてくれるりんごやら。
そんな普段通りの宅急便の中に、そいつは鎮座していた。
「重要」と印を押された見慣れない封筒。まるで冬山のような威圧的な雰囲気をまとったそいつは、中身を確認するまでもなく、なにかまずいことが起きているのだと僕に直感させた。
2年ほど前、僕は大学を休学した。
特にやりたいこともなく、フラフラと過ごしてみたら人生どんなに素晴らしいものだろうという大学生にありがちな妄想を抱き、夢と希望を胸に自由という旗を掲げた大航海(実際は週3ぐらい近場の温泉行ってた)へと打って出たのである。
それからかれこれ1年半が経ち、なんやかんやして(ここは今後また何処かで)気づけば定職に就き、大学に戻り卒業という名の錦の旗を足立区に持ち帰るなどという夢のような選択肢など、とうの昔に消え失せていた。
そうして僕は、中退面談という闇の舞台のような場所に立たされることになった。
かつて中国語を習っていた教諭からの生暖かい眼差しに送り出され、ぼくは早稲田大学を目立たく中退し、社会の荒波へと立ち向かい始めたのだった。少なくともその時の僕は完全にそう信じていた。
そいつは、あまりにも突然、まるで当たり前の日常の一部かのように、僕の前に現れた。
いつも通りの携帯料金の引き落とし通知なんかと一緒に、しかし明らかに異様な雰囲気をまとって、僕のもとに届けられたのだ。
一瞬どころか三回ぐらい目を疑ったが、そこには紛れも無く「抹籍」という二文字が刻まれていた。
驚きのあまりこの画像をツイートしたところ、
これが俺の全力全開!除籍通知ーーーーーーー!!!(休学手続き失敗による学費未納抹籍) pic.twitter.com/J4vAokgOfi
— シロかったクマ (@ari_kou) 2014, 4月 17
80以上ものふぁぼが得られた。僕が4年の歳月をかけて手に入れた、宝物のようなふぁぼである。
ふぁぼの話はどうでもいい。何故除籍になったのだ。確かに2ヶ月前中退面談を受けたし、除籍になる理由などないだろう。解せぬ。
日頃から、実家の親は僕宛にとどいた手紙を捨ててしまうことがある。それが銀行からの手紙であっても、早稲田大学からの封筒であっても、なんなら早稲田大学からの休学費用の払込用紙であっても、それが支払われなかった旨と共に届いた督促状でさえもだ。
「学費未納抹籍」のカラクリは、まさしくこの通りであったが僕がこの事に気づいたのは除籍になった後であり、もはや後の祭りどころの騒ぎではない。人生とは辛く悲しいものだ。
かくして両親子供揃いも揃って高卒となってしまった僕の実家は、今なお仲良く楽しく、時折高卒という言葉を投げつけあいながら、足立区という名のTOKYOが世界に誇るスラム街にひっそりと佇んでいる。もはや帰る機会も減ってしまったが、なんなら近づきたくもない。
クリスマスまでの毎日が楽しくなるように作られたというAdvent Calendar。その一幕をこんな形で彩ってしまったことは人生をかけて後悔しつつも、飲み会の一発芸として僕の人生を豊かにしてくれることだろう。